2014/03/22
そもそも好きなジャンルと微妙にズレているので
ニコニコ動画のこととかをあんまり分かってなかったのですが、
若い子達が熱狂してるのを見て不思議に思い、ちょいちょい理由を聞いてました。
なんとなくの結論としては同じ時間に見てる人同士の共有や一体感はまあそうなのですが、
例えば同じ学校にいるすごい人みたいなローカルなかなり近い距離感で熱狂してるのかな。
ぐらいの、ものすごく間違ってそうな認識でした。
初音ミクのライブに実際人が集まるって感覚が全くもって理解できず、
単にアイドルに熱狂するようにバーチャルアイドルに熱狂してるのかなと。
だからってわざわざコンサート会場まで行かなくても良いじゃん、
実際歌うわけでもないし、家で聞くのと何が違うんだろうかと。
そのぐらいの認識できちんと見たことも聞いたこともなかったので
熱狂の理由もさっぱり分かっていなかったのですが、
この前、芸術新潮か何かで特集されているのを読んで少し見方が変わります。
単純に初音ミクのイラストを描いてる人だけじゃなく色んな人が載ってます。
前、上條淳士さんの時に話したイラストレーターで作った死んだ絵のことを書きましたが、
同じ魂抜けてるみたいな感じだけど魂抜けすぎてて、
解脱してるような絵は逆にかっこいいなと思ってるんです。
まあ結局味付けです。結構、近未来でもベタな表現だったり、
割とみんな同じようなサイバーな蛍光色やパステル系の色の組み合わせだったり、
ただ組わせ方のバランスや魂の抜けた具合も結局はセンスっぽいのですけども。
私のようにアナログの重力に囚われてるとデジタルでもアナログっぽい表現をしがちです。
昔見た、スイカやクウネルの絵を描かれてるイラストレーターの方が載った
良い感じのイラストレーター十把一絡げインタビューな本を見た時、
全員が全員デジタルな製作過程だけどアナログっぽさを残そうと
気をつけていると言われてました。年代的な感性なのか発想がきっと真逆です。
話は戻ります。特集で「なんで流行ってるんだと思いますか?」
みたいな質問を初音ミクの作り手ごとにぶつけるんですが、
ひとりの人がもののあわれという言葉を使います。
少し前にいい曲ですよと人から進められた曲がボーカロイドで作られた曲で、
普通の人(歌い手?)が歌ってるのはあんまりピンと来なかったのですが、
関連動画の元のボーカロイドが歌ってる版を聞いてこっちの方が大分良いと思ったんです。
人が歌って後加工するより、もっと機械っぽいところが逆に良いと。
そしてまた違う人のインタビューの内容を思い出します。
そもそもボーカロイドはミニマルを内包していると。
じゃあ一番の人気曲は何だろうかと検索すると
みくみくにしてあげるにたどり着きます。
他の方と良いと思う部分が違う可能性も高いのですが、
もののあわれです。自分のことを歌ってます。
私が妙に好きになる曲と似ている部分ががあります。
例えば、うる星やつらの一番最初のエンディング曲だったり、
黒猫のタンゴだったり、ピクミンの曲だったり、
もののあわれというかなんというか、ほんの少しの明るさと儚い感じが同居してます。
そして声。キッチュとはまた違うのですが技術が発達して人の声に近くなったり
抑揚がもっとつけられるようになると途端に魅力がなくなりそうです。
技術発展の過渡期で出来ることと出来ないことのバランスが調度良く
機械のボーカロイドが歌う技術力は上がってるんだけど、
やっぱりどこか魂の入っていない作りもの感がある今この瞬間がとても良いです。
レティシアの声というか歌い方も少し似たところがある。
私の良いと思っている部分と違いみんなが熱狂していることにズレがあり、
単純にもっと人に近い感じを求めていくのであればものすごくもののあわれです。
良くロボットアニメとかに出て来る旧型になってしまいますから。
昔からハリウッド系の映画はあんまし好きじゃないというか見たくないのですが、
全く同じ内容だとしてもアニメならきっと楽しんで見ます。
CGがすごく発達しても生身の人間が出る時点であんまり見たくない。
人間に近いCGもあんまり好ましくない。それとも感覚が似てる。
そもそもブームが起きにくくカウンターカルチャー気味に入って来るのが難しい時代ですが、
さすがこれだけ多くの人にムーブメント的に支持されるってことは理由がある。
ケミカルブラザーズが野外フェスに出るって聞いた時にどうすんだろ、ちょっと見たいなと思った感覚と同じように
初音ミクのライブもどうやったんだろうとちょっと興味を持ちました。
いつかゴーストが勝手に自分の歌を歌い出すかもしれない