願わくば 花の下にて春しなん その如月の望月の頃
				
				父が好きだった歌のとおり春に。西行法師と変わらない時期(陰暦で如月)に亡くなくなりました。
				たまたまなんですが、葬儀場の前に西行さんの銅像もありました。
				妹が結婚した次の週に、私が到着した直後に息を引き取りました。
				色んなことが偶然で、願いに違わなかったのか、どうなのか。
				
				しかし結局、骨はモンゴルではなく高野山に収められてしまいました。
				私もずっとイヤだと思ってますが、こうゆうことはちゃんと遺言として残しておかないと勝手に決まります。
				というか仏教自体をやめないと定型どおりにすすめられてどうしようもない。
				妹の結婚式で帰った時、友達に仏教やめるとか冗談っぽく言っていたのですが、
				良い機会です。マジでやめます。残された人が大変すぎるし、
				職業坊主に弔ってもらってもなんの意味もない。お経とちられると無駄に迷いそうだ。
				大体先祖代々○○家の墓を守って行かないと的なこと言いますが、最近の先祖しか弔われてません。
				西暦でカウントしても訳の分からないぐらいのご先祖さまがいて私達がここにいます。
				きっと、きちんと弔われてない方が多いでしょう。本当にくだらない。
				
				覚えてくれている人に思いが残るのでそれで良いと思うのです。
				問題はお供えものをしてあげたい時に困るぐらいです。
				おばあちゃんにはアメをロッタくんにはパパイヤを。
				父はお酒なのですが、死因に遠からずなのであまり気がすすみません。
				私は葬式ナシで、放置は困るので焼いて適当なところに適当にまいてくれればと思ってるのですが、
				最近売られていたきのこの山キャラメル味がすごいおいしかったので、それをお供えしてください。
				きのこの山キャラメル味のようにいつか何もかも消え去ります。
				それで良いんです。是非もなしです。
				
				ちなみに、これは遺言です。