2013/11/21
押さえつけられすぎた私怨で頭が朦朧としすぎて脳髄が溶けていた。
うちの父はむちゃくちゃで、色んなところで揉め事を起こしたりしてたのですが、
いつもの行動言動から、基本全面的にウチの父が悪いんだと思い込んでいました。
そうゆう話題になった時、子の立場から親を擁護すべきではないのですが、
そんな謙遜した感じでもなく、本当にウチの父がご迷惑おかけして本当にすいません的な感じにとりあえず謝ってました。
ただウチの父親、むちゃくちゃな割に道義的というか任侠的というか、
そうゆう意味でクソったれな選択や行動をしたことがない。
(そのせいで家族に被害が来るとしても。いや、むしろ家族に被害がくる)
それは昔っから結構わかってたんです。ただ心の奥底にくすぶる漠然とした憎しみに囚われて、
他の人が気づくであろう父の良い部分の大半がスポイルされていました。
人が死ぬと色々出てくるものもですね。私は事柄のアウトラインしか聞いてなかったので、
詳しい内容がさっぱり分かってなかったんですが、少し考えれば分かりそうなのに、今の今まで本当に気付かなかった。
ああ、こんな大切なことに後で気づくなんて本当に阿呆で間抜けだ。
私は地元が嫌いです。結構故郷を好きな人が周りに多いのですが、本気で嫌いです。
ぶん殴りたい殴り倒したい。ウチが父の立場でも大暴れしてるかもしれない。
何だその閉塞感と排他的な感じ、たいした特色もねえのに、
中途半端な田舎ってこと抜いたら何も残らないのに、そのまま滅べよ、もう。
何でウチのおばあちゃんのことを、ウチのおばあちゃんの血縁のことをあんなに好いていたのか、
私も知らず知らずに全く同じ気持ち、好悪だったのに、細かい心の機微をもっと掘り下げなかったのか。
そうゆうことを何もこぼさなかった父を思いだし、人情家というかやっぱり任侠に近いのですが、
お互いなりたい人物像があって、それは竟に、ウチの祖母だったりするのですが、
2人とも性格的に全くなれなくて、でもそうゆう人になりたいとは心で願っていて、
そう思う気持ちに、何の違いがあったんだろう。
2年経って色んなことを共感し、そして死を実感し、今はじめて涙しました。
父の遺骨を見てありきたりに阿呆のように思ったのですが、人の生とは本当に一体なんなんでしょう。
何であの土地を愛そうとしたんだろう。ある意味全く関係ないのに、そしてやりっぱなしにする仕事が雑だ。
料理作ったら皿とか洗わないタイプだ。でも実は母より父の方が料理がうまい。
ただあんな土地でも愛そうとした父は、すぐさま見切りつけた私より懐が深くて上等だ。
生きるって何だろ生きるってなあに。とかいう何かのお笑い番組のネタみたいですが、
ぢいつと茫然黄昏の中に立つて、なんだか父親の映像が氣になりだすと一歩二歩歩みだすばかりなのです。