2013/08/12
仕事も趣味も好きなものも、アレな感じの割にすごい合理主義者で曹操とか信長的な考え方が根底にあります。
仕事は特に、デザイナーつうより、プログラマーみたいな考え方をすぐしがちです。
そう、芸術においてあんまり人というか人柄とかに執着しません、どんなクソったれでもただ才能があれば良いと思ってます。
究極的に言うと地獄変的な感じでもそれ(作品)がすばらしいものであれば良しと考えます。
むしろ才能ってよりももっと個別の作品として見ています。ムラがある人もいたり、乾坤一擲に良いものや、私小説的というかこれを描いたらもう枯れ果ててしまうだろうというものは刹那的な代えがたい良さがあったりするので。
ずっと長い間コンプレックスというか、言葉でうまく説明も気持ち的に整理もできず、モヤモヤと引きずっていたものがあったのですが、結構最近少し救われました。
何かを作っていくことにおいて、実際生死のやりとりを経験していない私はどうやっても戦争を体験している祖父や祖母達には敵わない部分があって、
生死だけじゃなく、色んな意味で凡庸な私はどうしても経験していないことが多くて、基本自身の経験則に勝るものはないと思っていたので、人生経験豊富な人にはどうしても敵わない。林◯理子の恋愛小説のなんという説得力のなさよ。よしもとばななさんも少し微妙だけど、魚喃さんや岡崎さんのように目鼻立ちが整ってないと夢物語なのも良いとこじゃないのかと。ただ明らかに本人が経験していないような話でもものすごくおもしろくて感銘を受けるものもたくさんあります。これは一体どうゆうことかと。
有名な編集の方が「三丁目の夕日はどうも気に食わない、その時代も知らんのに適当なこと描くんじゃない」とおしゃってました。
私はビックコミックの三丁目の夕日が妙に好きだったので、少しショックだったのですが、まあそうゆうことなんだろうと。実体験としてその時代を知ってる人には鼻につくんだろうなと。
出自自体出世してる人が多数出てる人材育成型大御所の編集者で自身もアイデアを出されていたり、また違うところで創作に別名義で携わっていたり、普通の編集の人とは少し違って、結構良いお歳の方なんですが、松本大洋さんのことをあいつは天才だと言われたので、頭でっかちな感じも全くなく、経験則至上主義者の私はやっぱりそうなんだという思いと共に、じゃあどうすれば良いんだろうかとまた頭を抱えました。
スタジオジブリのメイキングで宮崎さんも同じようなことを言ってた(もっと最近の若いもんは全く的なニュアンスで絵の技術的な話でしたけど)のを思い出しました。というか大体の大御所が同じようなことを言ってます。少し逸れますが、ジブリの美術監督の男鹿さんの画集的な本を読んだことがあるんですが、あの人おかしい。何でソラでそんな背景が描けるんだろう。それはやっぱり経験なのか。絵的な経験値はもちろんケタ違いなんだろうけども。
なのでかなり好きな作家さんでも作品ではなく、その人自身の言動や思想についてはあんまし興味なかったのですが、逆に言うと作品も見たこともないような人の名言的なもので良いものがあれば、その思想や言動を作品的なものとして覚えているって感じでした。
人と話している時や、こうしてブログにつらつらと自身の考え方の種明かし的なことを書いてる時にいつも頭をかすめることがあるのですが、昔何かのトーク番組に我孫子さんが出ていて、藤本さんの話をしていたことを思い出し、少しためらいます。自身はこうゆう場や飲み屋とかに言って話して発露してしまうけども、藤本はずっと貯めてる。貯めて貯めて、作品の中で自分の言いたいことを言う。アイツはやっぱすごい的な話を。
お笑い芸人でもそうだと思うんですが、コンビって非常に繊細な関係性で、藤本さんと我孫子さんぐらいのレベルになると中々相手のことは尊敬していても褒めにくいと思うんです、気持ち悪い馴れ合い褒め合いなコンビもいますが、お互いあのレベルのものが描けて更にあの年月一緒に仕事してるんだから認めていても言葉に出しにくい、更にその番組は自身が呼ばれたトーク番組だし。笑い話のワンエピソードで藤本さんの良い話って内容でもなかったのに、サラっと軽やかに出したってことはよっぽど認めてるんだなと。ものすごい近い位置にいる才能をあっさり認める我孫子さんのココロの軽快さもすばらしいけども。
ここからは藤本先生の言葉の引用です。
よく「漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ」だとか
「人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない」だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です。
人はゼロからストーリーを作ろうとする時に「思い出の冷蔵庫」を開けてしまう。
自分が人生で経験して、「冷蔵保存」しているものを漫画として消化しようとするのです。
それを由とする人もいますが、私はそれを創造行為の終着駅だと考えています。
家の冷蔵庫を開けてご覧なさい。ロブスターがありますか?多種多様なハーブ類がありますか?
近所のスーパーで買ってきた肉、野菜、チーズ、牛乳・・・どの家の冷蔵庫も然して変わりません。
多くの『人並に人生を送った漫画家達』は「でも、折角あるんだし勿体無い・・・」とそれらの食材で賄おうします。
思い出を引っ張り出して出来上がった料理は大抵がありふれた学校生活を舞台にした料理です。
しかし、退屈で鬱積した人生を送ってきた漫画家は違う。
人生経験自体が希薄で記憶を掘り出してもネタが無い。思い出の冷蔵庫に何も入ってない。
必然的に他所から食材を仕入れてくる羽目になる。 漫画制作でいうなら「資料収集/取材」ですね。全てはそこから始まる。
その気になればロブスターどころじゃなく、世界各国を回って食材を仕入れる事も出来る。
つまり、漫画を体験ではなく緻密な取材に基づいて描こうとする。
ここから可能性は無限に広がるのです。私はそういう人が描いた漫画を支持したい。
卒なくこなす「人間優等生」よりも、殻に閉じこもってる落ちこぼれの漫画を読みたい。
すごく救われた。なんだろうこの藤子先生のマンガ家に対する愛情は。
長いことモヤモヤしていた気持ちが浄化され、思わず涙がこぼれました。
昔コロコロコミックに映画になる前の映画版ドラえもんが掲載されてました。
もうそれしか描かれてなかったっぽいのですが、ものすごくワクワクして、すばらしい作品でした。
ドラの映画は声が変わってから見てないのですが、藤本先生が描かれていた頃の作品は本当にすばらしいです。
才能あるのに人格者なんて手塚先生とは・・・
手塚先生の人格破綻者エピソードは人間臭くてすごく好きですが、
楳図さんのマンガパクったのは、それだけはいかんと思うんです。